文学部叢書『文学研究の思想―儒学、神道そして国学―』新刊。

志水先生と文明学科の田尻祐一郎先生、國學院大學の城崎陽子先生、西岡和彦先生に金沢学院大学名誉教授の山下久夫先生を加えて、2012年度の「知のコスモス」シンポジウム企画をふまえた著書が刊行されました。

 

【目次】
序・第一章 天文学者と神の道(志水)―澁川春海
第二章 儒教から国学へ(田尻)―堀景山
第三章 「日本魂」論再考(西岡)―唐崎士愛
第四章 国学と和歌(城崎)―田安宗武vs荷田在満
第五章 宣長・自国中心主義的言説の再検討(山下)
付 録 江戸の学問と東アジア(シンポジウム記録)

 

【概要】

紀元前の中国で、孔子に始まる儒学と呼ばれる学問は、研究者によっていろいろ解釈され教育されてきましたが、長い間に諸家の諸説が入り乱れるようになりました。それらを整理し再構築して論理だてたのが十二世紀の宋の国の朱熹(1130~1200)という学者です。この学問は鎌倉時代に日本に伝わり、学僧の基礎教養として、さらには皇族・貴族・武士・庶民の基礎的な学問理論として受容されました。
儒学はもともと公私にわたるそれぞれの場における人としての心の在り方(仁・忠・孝・悌・信)を形と結び付けて(礼・義)研究し教育する学問(智)ですが、社会を構成する個々人が自己責任のもと、自分をコントロールして社会の一員としての責務を果たせるよう、考えさせるのが朱子学です。つまりわたしたちの実際の社会生活の場そのものの在るべき姿を学び問う「学問」であったわけです。
仏教もまた自身の生き方を学び問う「学問」です。ただ、来世という目に見えない世界での自己の在り方を問うところに、現実から離れているという点で「虚学」という批判のことばを生み出します。とらえかえせば、来世を思わざるをえない戦国時代を脱して市民経済社会を達成させた江戸時代に入って、それだけ現実というものが重くなり、大切にされるようになったということなのです。
十七世紀の日本に澁川春海(1639~1715)という天文学者がいました。春海の天文学の著作を見ると、彼の認識は現代人の知っている太陽系宇宙と同じものです。一方、神道の著作を見ると、神々の時代から今に至るまでの歴史を事実として受け止めています。星の運行の記録と歴史的過去の記録。春海は両者を観察しながら、天体の運行と人の営みとを結び付けようとしていたようです。そして、「わたしたちの国では、人の名を与えて呼び、神の名を差し上げて崇めるのだ」と言います。春海は日本、外国それぞれの風土の生み出す世界観の違いを認め、また自分たちの神々による宇宙創成以来、今につづく日本の人々の営んできた〈道(みち)〉と、天体の運行とを神を媒介に結びつけています。
このような考え方はすでに師である山崎闇齋にも見られます。孔子さまの教えで人としての生き方を考え問う儒学を極めた闇齋のたどり着いた先は〈自国〉でした。天文学と神道とは、自己を問う実学である朱子学を通して一つながりとなって、〈わたしたちの来(こ)し方行(ゆ)く末の中でのわたし〉のあるべき姿を先人に学び自分を問う、〈道(神の時代から今に至るわたしたちの生き様)〉を学び問う「学問」となるのです。
 〈道〉を学ぶ者は、『古事記』と『万葉集』とをひたすら読め、と説いたのは本居宣長でした(『うひ山ふみ』1798)。山崎闇齋が儒学をつきつめて祖国にたどりつき、澁川春海が天地開闢から今につづく人の道、とりわけ祖先の祭りや葬儀、神祭りの風習の観察の中に〈道〉を探ろうとしたのに対し、宣長は日本のことばそのものの中に〈わたしたちの来し方行く末の中にあるわたし〉の姿を求めました。この考え方は現代に通じる言語哲学です。
 宣長の「古いことばから本来のわたしたちの考え方を体得しよう」という考えの先蹤となるのが賀茂真淵です。彼は荷田春満に歌学を学んでいます。春満―真淵―宣長という「もの学び」の流れは、現在「国学」と呼ばれています。呼び名の通り日本の国について学ぼうという学問です。日本のことばで古くに語られた文学作品を学んで、いま、ここにいるわたしのあり方を問い学ぶ「学問」です。
 いま、わたしたちは「学問」に何を求めているのか、あるいは求めるべきなのでしょうか。世の中が学問に期待するのは、まだ、現世利益です。景気云々の話、功利的なものの開発、いまだ近代的な風潮が蔓延しています。むしろ滅亡を前に焦っている観すらあります。
 だから今、改めて近代直前の「学問」のあり方を学んで問い直してみたいと思います。